Marita の変更点
#include(マップ項目,notitle) &attachref(./マップ.jpg,nolink); //説明文 1940年後半のギリシャでの戦いを体験せよ。「ギリシャの戦い」の第2のマップでは、川に面した山の斜面が舞台となり、下の谷からは続く戦闘の音がこだましてくる。 |BGCOLOR(#090):200|160|60|160|c |BGCOLOR(#fc2):COLOR(Black):''分類''|>|>|''[[マップ]]''| |''実装日''|>|>|2019/07/30| |''ゲームモード''|[[グランド・オペレーション]]|BGCOLOR(White):''Day 1''|| |~|~|BGCOLOR(White):''Day 2''|| |''タイトル名和訳''|>|>|マリータ作戦| |''時期''|>|>|1941/04/06~04/30| |''場所''|>|>|アルバニア南部地方| |''地形''|>|>|山脈周辺| |''戦闘''|>|>|&ref(画像置場/BFVドイツ.png,nolink);&size(30){vs};&ref(画像置場/イギリス.png,nolink);| //|''ロード時のBGM''|>|>|[[>]]| //#contents *概要とポイント [#about] #youtube(https://www.youtube.com/watch?v=8t4TW08Dw38) チャプター3:「炎の試練」で登場した[[Mercury]]マップの後で残る1つとなるギリシャのマップ。ドイツ軍がギリシャ侵攻としてマリータ作戦を発動、「ギリシャの戦い」がさらに激化する。山腹と川を見下ろす石畳の道へといざなってくれる''Marita''では、歩兵隊による戦闘がメインに行われ、連合軍が枢軸軍を阻止すべく最後の抵抗に挑むこととなる。 #br //マリタ作戦は1941年4月6日に始まったギリシャ本土への枢軸軍侵攻のドイツ軍のコードネームであった。 1940年11月2日から8日にかけてピンドス山脈で起こったElaia-Kalamasの戦いにおいてこの戦いはギリシャとイタリアの戦闘員の間でのみ戦われた。最終的にイギリスと英連邦の軍隊が関与するであろうギリシャ半島の連合国防軍は、結局1941年6月1日のクレタ島のドイツ占領で終結し、連合軍は退避することとなる。 *概要とポイント(コンクエスト) [#vcb7eda3] &size(20){&color(Red){''解説求む''};}; &attachref(./全体図.jpg,nolink,50%,全体マップ); :両陣営本拠地| :A拠点| &attachref(./a.jpg,nolink,50%,A拠点の俯瞰図); :B拠点| &attachref(./b.jpg,nolink,50%,B拠点の俯瞰図); :C拠点| &attachref(./c.jpg,nolink,50%,C拠点の俯瞰図); :D拠点| &attachref(./d.jpg,nolink,50%,D拠点の俯瞰図); :E拠点| &attachref(./e.jpg,nolink,50%,E拠点の俯瞰図); :F拠点| &attachref(,nolink,50%,F拠点の俯瞰図); &attachref(./f.jpg,nolink,50%,F拠点の俯瞰図); *プレイ可能なゲームモード [#g9a8de5a] |LEFT:120|CENTER:90|c |ゲームモード|プレイ可否|h //|エアボーン|-| |ブレークスルー|〇| |コンクエスト|〇| |ドミネーション|-| //|ファイナルスタンド|-| //|ファイアストーム|-| |フロントライン|◯| |チームデスマッチ|〇| //|分隊コンクエスト|追加予定| *ゲームモードごとの乗り物の配置 [#z9f5e2fb] |LEFT:160|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c |ゲームモード|戦車|輸送車両|航空兵器|増援|h |コンクエスト|0|2|0|ロケット 発煙 砲撃 補給| |ブレークスルー(3エリア)|0|2|0|上に同じ| |フロントライン(16vs16)|0|0|0|| *モチーフ解説 [#commjmt2] マリータ作戦は1941年4月6日に始まったギリシャ本土への枢軸軍侵攻のドイツ軍のコードネームであった。 1940年11月2日から8日にかけてピンドス山脈で起こったElaia-Kalamasの戦いにおいてこの戦いはギリシャとイタリアの戦闘員の間でのみ戦われた。最終的にイギリスと英連邦の軍隊が関与するであろうギリシャ半島の連合国防軍は、結局1941年6月1日のクレタ島のドイツ占領で終結し、連合軍は退避することとなる。 ギリシャでは戦中に激しい抵抗運動が起こり、その後左派系レジスタンスと帰還した国王派政府との間で[[内戦>https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A3%E5%86%85%E6%88%A6]]が勃発する事態となっている。 またよく、イタリアがギリシャでごたついて、ドイツの尻拭いが長引いたから独ソ戦で負けた。とするような記述があるが、実際には早かろうが遅かろうがソ連の遅延戦術に乗せられて補給もままならないドイツに勝機はなかった。 またギリシャ占領自体にも欧州での綿花の一大生産地の確保や[[Mercury]]にもあるようなクレタ島問題もあるのでさして無駄骨ではなかったのである。(ただし、ユーゴスラビア共々抵抗運動は激しい血を見せることとなる。) *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,) #include(コメント欄注意書き,notitle) |