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		Model 37  のバックアップ(No.8)
		
		 
		
 19世紀後半の登場以来、ポンプアクション・ショットガンは人気を保ち続けてきた。 
 
 
 専門技能  
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| アイコン | 名称 | 効果 | 
|---|---|---|
| RANK1 | ||
| 高速リロード | 銃のリロードが15%早くなる。 | |
| 貫通弾 | ペレットが兵士を貫通して、後ろの敵にもダメージを与えられるようになる。 | |
| RANK2 | ||
| スリングスイベル | 銃の持ち替えが15%早くなり、またダッシュ後に素早く撃てるようになる。 | |
| 銃剣 | 銃剣突撃を可能にする | |
| RANK3 | ||
| 拡張マガジン | 拡張マガジンを使用することで、リロードまでに長く撃ち続けられるようになる。 | |
| トリガージョブ | 銃の最大連射速度を上げる。 | |
| RANK4 | ||
| 内蔵チョーク | ショットガンのペレットの拡散を33%絞ることができる。 | |
| 高重量弾 | より重いバックショットの使用で即死距離が2m伸びる。 | |
詳細については専門技能参照。
2020年2月6日ToW実装のショットガン。
他のショットガンに比べて至近距離の威力が高い反面、減衰が激しい
ポンプアクションらしからぬレートを持つ。(12gが素で138RPM、レートアップで163RPM)
実はスラムファイアに対応しており、腰だめ時は事実上のフルオートになる。トリガー引きっぱなしで連射OK。
Model 37は1937年に製造が開始された散弾銃。設計はジョン・ブローニングによるものを基礎としており、製造はニューヨーク州イサカに位置するイサカ・ガン・カンパニーが行った。
元来イサカ社は1880年の創設以来、レミントン社が所有する特許切れの銃器をベースにした銃器の開発・販売で知られていた。
また、時には銃器技師の設計を直接購入することがあり、この中には二連散弾銃の「フリュース」のように長年に渡り売れ続けるベストセラーとなるものもあった。
そのような流れでレミントンM17に関する1915年の特許をベースにした新型散弾銃の開発が始まった。
開発が始まったのは1931年のことで、ウィンチェスター社のM1897の後継であるM1912の対抗馬となることを意識した。
1933年よりイサカM33として販売が開始されることとなったが、彼らの設計の中にはジョン・ピダーセンが取得した特許を侵害する部分が含まれていた事が発見され、期限が切れる1937年まで発売を待った。
M37の設計は先述の1915年の特許に基づいており、機関部の底部に設けられたローディングポートからショットシェルをマガジン内に押し込む操作を取り入れた。
このローディングポートは薬莢の排出を行う機能も併せ持っており、下から装填・下に排莢する設計は開口部が減ることで強度を高める事ができた。
また、この開口部の少なさは同時に砂塵等の侵入を防ぐ事にも繋がり、コンバットショットガンとして軍事作戦にも耐えうる点が後に注目された。
強度を高めつつ機関部の軽量化にも成功した点も評価され、レシーバは全スチール製であったにも関わらず重量は3.4kgまで軽量化された。
しかし販売が始まった1937年はアメリカも世界恐慌真っただ中であり、当初予定されたスポーツラインでの販売は困難なものであった。
イサカ社に限った問題ではなかったが、この時期は多くの民間向けの銃器製造ラインが停止していた。
その一方で信頼性の高さ、排莢が下から行われるために操作する手を選ばない点、軽量さ等が評価され、アメリカ軍への納入が開始された。
更にM37はM1897等と同様に意図的な暴発であるスラムファイアを引き起こす事ができ、ポンプハンドルを操作するだけで連続的に射撃する操作は軍用銃としての評価を高めた。
アメリカ軍や警察はこの後長らくM37とそのバリエーションを使う事となり、例えばロサンゼルス警察は1940年から1990年代を通してM37を使用し続けた。
軍用銃としてのM37は他の散弾銃と違って銃剣や放熱板を取り付けたトレンチガン仕様は作られておらず、第二次大戦中は特にマイナーチェンジ等も行われないまま運用された。
その後も朝鮮戦争やベトナム戦争で用いられ、特にベトナム戦争での活躍は目覚ましいものであった。
アメリカ海軍は軽量でタフなM37を気に入り、"S-prefix"と呼ばれる特別仕様のM37を1962年より調達した。
このM37は20インチの銃身とスリングスイベルが無く、着剣装置も装備されていた。いくつかの個体は"ダックビル・スプレッダー"という特殊なデバイスを取り付け、水平方向に散弾が広がるよう改造された。
これはベトナム戦争で作戦行動を行った米海軍の特殊部隊、SEALsでも好んで使われ、およそ2万挺ほどがこの契約の仕様で製造された。
軍用ショットガンとしては後に登場したレミントン社のM870やモスバーグ社のM500等にその座を譲ることとなったが、ニューヨーク市警とロサンゼルス警察での契約は極めて長期にわたって続いた。
このことからアメリカの警察官とイサカM37のイメージはステレオタイプな組み合わせとして形成され、アメリカ以外の法執行機関や治安組織でその姿を見ることができた。
一方で本来予定していた民間ラインでの販売は第二次大戦の終結まで待たねばならなかったが、販売が再開されてからはアメリカでもっとも生産された散弾銃に上り詰めた。
1968年には100万挺目の個体が生産され、現在も生産は続いている。第二次世界大戦前から製造されているものとしては世界で唯一の散弾銃であり、本銃の信頼性を証明している。
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