[添付]
詳細については専門技能参照。
手数と取り回しに特化した一丁。セミオートライフル最速のレート450rpmを誇る。 反動も控えめで、横反動が小さく連射してもあまりブレにくい。専門技能RANK1のリコイルバッファーを取ればさらに素直になる。 初期弾倉は16発だが、専門技能RANK3の拡張マガジンで倍の31発まで増加し、継戦能力も非常に高くなる。 反面単発威力はセミライフルの中で最低。最大減衰距離ではキルまで5発必要になってしまうため、 「削ったがトドメを刺し損ねた」という状況がどうしても多くなってしまうのが最大のネック。
立ち回りとしては、やはりセミライフルの基本となる中距離戦を心がけたい。 味方が戦っている最前線の一つ後ろ、敵のARやLMGの弾がばらつき始める距離から弾をガンガン撃ち込める形がベスト。 M1A1は精度が非常に高いので、その距離からHSを狙うのも難しくない。やろうと思えば遠距離のSRとの撃ち合いにも余裕で勝つことができる。 また、この武器の特徴の連射速度を活かせば、10m程度の近距離も先手を打つことができれば、大抵レートでゴリ押して撃ち勝てる。 しかし、この武器の単発の火力が低いこと、接触しそうな至近距離はSMG、近距離はAR、KE7などのLMGの適正距離であるため、撃ち負けることも多くなる(至近距離は特に厳しい)ので、できればなるべく中距離を維持しよう。 近距離で戦う場合には、周りに敵がいないか、敵が複数人で固まっていないかなど、状況を見極めて戦うべきだろう。
M1カービンは、1941年にアメリカ合衆国で開発された自動小銃である。 1930年代当時の米陸軍では後方部隊の警備用火器として拳銃や短機関銃、小銃が用いられた。 だが、拳銃や短機関銃は威力が乏しく射程が短い、小銃は取り回しが容易ではないなどの問題を抱えていた。 そのため、小銃と短機関銃の中間に当たる火器の開発が求められた。 1940年10月1日、陸軍武器科は多数の銃器メーカー及び銃器設計者に支援兵科向けの新型軽小銃の設計要件を提示した。
当時、.30-06スプリングフィールド弾を用いる新型歩兵銃を開発中であったウィンチェスター社は、それに集中するために軽小銃計画への参加を見送っていた。 しかし、さらなる設計案を求めていた武器科はウィンチェスター社に接触し、新型歩兵銃を軽小銃計画の要件に沿って再設計するよう要求してきた。 ウィンチェスター社は2回目の審査に向けて軽小銃の設計を開始し、同社のG30Rを原型とする試作品が完成した。 試作銃の予備試験が行われ、良好な試験結果が出たことから軽小銃としての開発継続が決まり、1941年9月12日には次の試作銃が完成。 残されていた未解決の問題を、設計チームとの対立により計画から外れていたデイヴィッド・マーシャル・ウィリアムズが相談を受けて対策にあたり、9月15日の試験に提出された。 1941年9月30日、陸軍に採用された軽小銃はUnited States Carbine, Caliber .30, M1という制式名が与えられた。
M1カービンのバリエーションであるM1A1は、M1をピストルグリップ化して折り畳み式のワイヤー銃床を取り付けたものである。 空挺部隊向けに設計されたバリエーションであり、1942年から量産された。 余談だが、30発の箱型弾倉が採用されると共にフルオート射撃機能を備えたM2というバリエーションが1945年早期に登場している。 こちらも第二次世界大戦末期にて使用され、またM1A1が30発にアップグレードできることからアサルトライフルとして登場する余地はある。
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