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FG-42 のバックアップ(No.19)
表の見方は銃器の性能表について、詳細比較については銃器比較表、またサイトについてはカスタマイズ参照。 専門技能
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| アイコン | 名称 | 効果 |
|---|---|---|
| RANK1 | ||
| 高速エイム | エイム状態への移行が33%速くなる | |
| カスタムストック | 移動中のエイム射撃の命中精度が上がる | |
| RANK2 | ||
| 強化グリップ | 腰撃ちの精度が増し、腰撃ちでの有効射程が延びる | |
| バレルベディング | 静止中のエイム射撃の命中精度が上がる | |
| RANK3 | ||
| リコイルバッファー | 上方向の反動が弱まる | |
| ポーテッドバレル | 横方向の反動が弱まる | |
| RANK4 | ||
| 銃剣 | 銃剣突撃を可能にする | |
| 軽量ストック | エイム中の移動が60%速くなる | |
詳細については専門技能参照。
レートに特化した機関銃であり、撃ち心地は前作でのパラベラムに近い。ゴリラエイム御用達品。
LMG最速のレートを誇り、同カテゴリ最速のTTKを持つ。また、タクティカルリロードがかなり速い。
それだけみるとかなり強力そうに思えるが、同カテゴリ最低のマガジンサイズゆえ弾はあっという間に枯渇、
さらに(軽量という実銃に習って)反動が凄まじく、例えバイポッド使用でも定点を狙い続けるのは至難の技という、暴れ馬でもある。
この影響で腕やら足やらに命中し、キルまでの弾数が増えてしまって結局TTKが早くないなんてこともよく発生する。
加えてエマージェンシーリロードが致命的に遅く、それを補うために頻繁にタクティカルリロードをする必要があるなど、扱いに工夫が必要となる。
SMGに近い使用感の為、近距離でその性能を発揮するタイプといえる。
この武器で遠距離を相手にするには、相当の技量と覚悟が必要だろう。

FG42(Fallschirmjägergewehr 42)はラインメタル社が開発した自動小銃。
名前の通りファルシムイェーガー(降下猟兵)に向けて開発された銃で、空挺降下時にも携行できるようコンパクトな設計にされている。
開発時のコンセプトは突撃銃に近いものだったが、Stg44のようなカービン弾薬ではなく、Kar98KやMG34/MG42などと同じく7.92x57mm弾を使用する。
また、実際にはアメリカのM1918 BARなどのような、現代の見方に当てはめるところの「分隊支援火器」のように運用されていたため、今作では援護兵の軽機関銃として実装されたと思われる。
1941年、クレタ島にて大規模な空挺作戦が実施された。ドイツ軍は最終的に島の占領に成功したものの、その代償は決して小さなものではなかった。
当時の降下猟兵らは着陸時の安全を確保するべく、降下時にはピストルや手榴弾などのみを携行し、小銃や機関銃は装備コンテナ(Waffenhalter)に収めて別途投下されていた。
しかし、クレタ島では多数の降下猟兵が装備コンテナへの到達に失敗し、結果として6000人近くの戦死者を出すこととなった。その損害の大きさには総統アドルフ・ヒトラーでさえ衝撃を受けたと言われている。
この戦訓を踏まえ、航空省では降下時に携行可能な新型自動小銃の設計を計画。この新型小銃には、歩兵銃(Kar98k)、短機関銃(MP40)、機関銃(MG34)の役割全てを兼ねることが期待された。
これを配備することで降下後直ちにあらゆる任務を遂行しうるとされたのだが、全軍の兵器開発に責任を負う陸軍兵器局では非現実的な計画と一蹴、陸軍と同様にG41(W)半自動小銃の採用を行うようにと提案した。
航空省ではそれでも空軍独自の銃器開発を模索していたが、ヒトラーが空挺作戦の有用性自体に疑念を呈したため、全ての計画が中止された……はずだった。
ここで現れるのが航空大臣・空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥である。
ゲーリングは空軍の精鋭である降下猟兵が先進的な銃を手にすることにとにかく拘り、私的な命令によって新型小銃の開発を再開させたのである。
1941年12月に示された設計要件は以下の通りだった。
・全長は1,000mm以内であること
・Kar98kよりも軽量であること
・セミオート射撃はクローズドボルトの状態から行われること
・フルオート射撃はオープンボルトの状態から行われること
・10発ないし20発の着脱式弾倉から給弾を行うこと
・ライフルグレネードの発射機能を有すること(最終的に実現されなかった)
・7.92x57mm弾を使用すること
これら全てを満たすことは非常に困難で、各メーカーから提出された試作品もごくわずかだった。最終的にラインメタル製の設計が高く評価され、1942年を通じて評価が行われた。
1943年から調達が始まり、同年9月のムッソリーニ救出作戦(グランサッソ強襲)にて初めて実戦投入された。ただし、この際には1発も発砲されていない。
非常に軽量で携帯性に優れたデザインだが、その代償に強度の低下を招いているため、素材には貴重なスウェーデン鋼を利用した。
一方でその高価な作りは生産性の低下も引き起こし、第二次大戦末期には材質を変更してローコスト化を図り、銃全体を大型化して強度の向上を目指した。
セレクティブファイア機能を備え、セミオート時はクローズドボルト方式で精度を確保し、フルオート時はオープンボルト方式で持続射撃時の安全性を確保する仕組みがある。
これはセミオート時に歩兵銃としての役割を果たすことを期待した設計で、スコープを取り付けると狙撃銃としても使用できた。
しかし機関銃としての役割を果たすにはあまりにも銃自体が軽量で、フルオート射撃時に7.92x57mm弾の反動を制御することは極めて困難だった。弾倉容量の都合から、持続射撃能力も限られていた。
また、側面弾倉は全長を短縮する目的で採用されたレイアウトだが、フルオート射撃時に銃自体が徐々に左へと傾いていくという問題を招いた。
このため、当初のコンセプトにも関わらず、Stg44のように汎用性のある小銃とは言えず、空挺降下自体がほとんど行われなくなったこともあり、先述の改良型含め生産数は1万挺にも満たない。
FG42は決して多用された銃ではないが、直銃床など現代の突撃銃にも見られる先進的な設計が取り入れられていた。また、後にアメリカで開発されたM60機関銃などに影響を与えている。
現代でもレプリカのFG-42が製造されており、更に恐るべき事に2012年にはポリマー製パーツやピカティニーレイルに身を包んだFG42
まで発表されている。
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