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Panzerbüchse 39 のバックアップ(No.3)
専門技能
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詳細については専門技能参照。
ToWチャプター4で実装予定の対物ライフル。
Panzerbüchse 39(パンツァービュクセ)はPzB39の名で知られるドイツの対戦車ライフル。
原型となるPzB38はラインメタル社およびグストロフ社にて設計されたが、改良型のPzB39はグストロフ社のみで製造された。
第一次世界大戦で初めて対戦車ライフルを開発・運用した帝政ドイツであったが、ナチスドイツ時代に入っても同種の兵器が求められた。
その流れでいくつかの試作品が設計されたが、特にPzB38の製造が進められる事となり、1938年よりPzB38の開発が始まった。
この銃は銃というよりもまるで砲といった設計になっており、水平スライド式の閉鎖機を持った特殊なデザインであった。
弾薬は対戦車ライフルとしては小口径の7.92mm弾であったが薬莢長は94mmと特大サイズで、小口径・高初速にすることで貫徹力を稼ぐコンセプトになっていた。
しかしPzB38は重く複雑な設計が災いして不評であったため、これを改良し生産性の向上を図ったものがPzB39であった。
1939年より開発・配備の始まったPzB39であったが、戦車の目覚ましい進歩はドイツ自身が自覚するところであり、
例え100m先の装甲を30mmまで貫通できる能力があってもポーランド侵攻の時点で既に能力不足が指摘されていた。
PzB39は垂直式の閉鎖機に変更され、予備弾を入れるためのケースを両側面に備えるなどの改良が行われたが、最早戦争に使える道具ではなかった。
そのため1943年からはGrB39(Granatebüchse 39)と呼称されるグレネードランチャーに改造したものが使われるようになり、
GrB39は500mほどの射程を持つグレネードランチャーとして少数の部隊で運用され続けた。
また、PzB39の能力不足は十分に認知されていたためか1940年からは4社がPzB39の後継モデルの開発を始めている。
これらは引き続き7.92x94mm弾を使い、半自動射撃のできるライフルとして設計された。
更にPzB243と呼ばれる15x96mm弾を使うライフルも開発されたが、これらの試作品は全て量産されることはなかった。
現に対戦車ライフルはBoys AT Rifleなどを始めとして各国が能力不足を理解しており、
本来の任務である戦車を攻撃する用途ではなく、軽装甲の車両や陣地攻撃にしか使われなくなっていた。
そのような事情もあってかPzB39は1944年には運用が打ち止めされ、GrB39も極少数が使われるだけとなった。
ソ連での対戦車ライフルは戦車の移動能力を阻害するといった用途でも使われていたが、ドイツ国内では終戦までは使われなかった。
ただしソ連はPzB39を鹵獲し、慢性的な武器不足であったソ連ではいくつかの問題を抱えながらも1940年からコピー生産した。
既にPTRDやPTRSなどが急ピッチで開発されたためにコピーされたPzB39は百数艇の製造に留まったが、
レニングラード包囲戦では14.5x114mm弾を使えるよう改造した個体にスコープを取り付けて大型狙撃銃として運用した記録もある。
これはZIF-11およびZIF-17
と命名され、レニングラード以外でも製造する計画もあった。
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