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M1A1バズーカ のバックアップ(No.7)
特徴、アドバイス、補足
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| 歩兵 | 軽車両 (衝撃+爆風) | 中戦車 (衝撃+爆風) | 重戦車 (衝撃+爆風) | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 衝撃 | 爆風 | ||||
| ダメージ | 85 (0.75m以内) | 35 (3m以内) | 13+8=21 | 10+7=17 | 7+5=12 |
| バックブラスト | 100 (1.5m以内) | ??? (3m以内) | - | - | - |
M1A1は1942年に採用されたM1の改良型で、1943年に採用された。
M1シリーズのロケットランチャーは総じて「バズーカ(Bazooka)」の名で知られており、これはアメリカのコメディアンが用いた金管楽器の形状がM1A1のマズル部分に似ている事に由来する。
このロケットランチャーの開発は第一次大戦期にまで遡る事となる。
アメリカ人であり「ロケットの父」と呼ばれるロバート・H・ゴダードがチューブ型のランチャーを用いて発射するロケット弾兵器のコンセプトを発案した。
これはアメリカ陸軍に軽歩兵装備として提案され、米陸軍信号隊の協力でアバディーン試験場でロケット弾の試験まで行ったが、その数日後に第一次大戦が終了したためそれ以上の開発は行われなかった。
なおゴダードはその後結核を患ってしまい、1920年代までロケット開発のプロジェクトに携わることはなかった。
この件以来、しばらくはロケット弾兵器に関心を寄せなかったアメリカ陸軍であったが、第二次大戦における東部戦線を研究する中で歩兵用の対戦車火器の必要性を認識した。
そこで再びゴダードのロケット兵器が注目されることとなり、米陸軍のレスリー・スキナー大佐およびエドワード・ウル中佐、そしてクラレンス・ヒックマン博士らが中心となってこの兵器の研究を続けた。
新開発の成形炸薬弾頭と共に長射程の対戦車火器となることを期待されたロケットランチャーは1942年にT1の名称で試作品が完成。優秀な性能が確認され、すぐにRocket Launcher, M1の名で制式採用が決まった。
しかしM1発射器と共に使う弾薬のM6ロケット弾は信頼性が劣る点を指摘され、すぐに改良型のM6A1が開発された。
これに合わせて前方のグリップが削除される等の簡略化を受けたM1A1発射器も開発され、M6A1弾薬とM1A1発射器は広く配備された。
M1A1は全長が1.37mで、重量は5.8kgしかなかった。これはよく本武器と比較されるドイツのパンツァーシュレック(防楯なし)が9.25kgである事を考えると、遥かに軽量であった。
口径は60mmで、90mm程度の装甲板を貫通する能力が保証された。再装填が可能であったことから建造物への攻撃にも有用な事が示され、あまり利用されなかったが白リンを使用した煙幕弾/焼夷弾のM10も用意された。
M1発射器は1942年11月に北アフリカのトーチ作戦に投入された。十分な訓練を受けていなかった兵士は効果的に運用できず、1943年以降はM1およびM6の供給は中断された。
改良型のM1A1はシチリアでの作戦に投入され、ドイツ軍の中戦車4両とティーガー戦車1両を撃破する戦果を挙げ、その後は米軍の標準的な装備となった。
しかし、これらはロケット弾であるにも関わらず時折跳弾する事が指摘されており、弾頭の形状を変更したM6A3弾薬が開発された。この弾薬はM9およびM9A1発射器で使用できた。
| ▼ | M1バズーカのバリエーション |
・Rocket Launcher, M1 ・Rocket Launchar, M1A1 ・Rocket Launcher, M9 ・Rocket Launcher, M9A1 ・Rocket Launcher, M18 ・Rocket Launcher, M20 "Super Bazooka" ・Rocket Launcher, M20A1 ・Rocket Launcher, M20B1 ・Rocket Launcher, M25 |
使い勝手の良い対戦車火器であったバズーカはその後も改良されながらアメリカ軍の装備であり続け、第二次大戦後も朝鮮戦争を経験した。
ベトナム戦争でも最初期に海兵隊がM20スーパーバズーカを使用した。ただし1960年代半ばにはM67無反動砲やM72 LAWなどが普及したことから殆ど姿を消し、ごく少数が建築物の破壊用に重宝された。
アメリカ軍以外でも広く用いられ、日本の陸上自衛隊もスウェーデン製カールグスタフ無反動砲を調達するまではM20スーパーバズーカを用いた。
この他には西ドイツやイスラエル、オランダ、ノルウェー等多くの西側諸国で1950年代から1960年代まで用いられていた。ソビエト連邦にもレンドリース等である程度が供給され、東部戦線でのデータはアメリカの研究資料となった。
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