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太平洋戦争末期に日本軍とアメリカ軍との間で行われた「硫黄島の戦い」を舞台とするマップ。
「太平洋の戦い」公式トレーラー (Pacific Stormと共通。年齢制限で見れない場合はこちら)
以下公式サイトから引用
アメリカ軍が硫黄島に全面攻勢を仕掛けました。島の細長い浜を舞台に、混沌に満ちた上陸作戦が繰り広げられます。開けた黒い砂浜を舞台に生死をかけた戦いや、そびえる摺鉢山のトンネル網などの近接戦闘環境が、歴史的な戦いへとプレイヤーをいざないます。上陸艇、航空機、戦車が多数登場し、両陣営それぞれの利点を生かして優位を確保するチャンスがあります。流動性の高いダイナミックなマップで、最終目標を目指して突き進むか、激しい攻勢をしのぎ切ってください。
「+拠」は拠点に割り当てられた出撃枠、「+野」は野良湧き(拠点周辺の野良湧き含む)。どちらも交戦区域内は両軍重複してカウント。 ※輸送車両は本陣に湧くもののみ
以下、画像内のピンク〇は固定対空砲、青☆は戦車補給所の位置を示す
総チケット 全6拠点 Tの字のような変わったマップ。マップ左側からA〜Fと綺麗に並んでいる。日本軍側が高低差的に有利なため、米軍側は裏取りや迂回などの工夫した立ち回りで対抗しよう。
総チケット400 全5区画 BF1のMONTE GRAPPAに近い印象。
目標チケット数 電波塔3基 互いに四輪駆動車が本陣や設営した電波塔の近くで手に入れられる。 どちらかの獲得兵数が一定の値を超えると、両軍は戦車,航空機の順で出撃ビークルが使用可能になる。
A:物資集積場 コンクエストで言うところのD拠点
B:北の尾根
C:ラスト・ストップ コンクエストで言うところのC拠点
現在公式休止中
デタッチメント作戦はアメリカ軍を主力とする連合軍による硫黄島攻略作戦である。硫黄島は中継飛行場として、また本土爆撃に対する警戒網の一つとして非常に重要な役割を持っていた。日本軍は島から住民(こんな僻地にも作戦前まで千人以上の人々が集落を作り暮らしていた)を退避させ、来たるべき連合軍に備えるため兵力が増強さた、その中にはオリンピック馬術選手として有名だった西竹一(最終的に硫黄島で戦死)もいる。日本軍指揮官栗林忠道は今までの結果から日本軍の水際戦略が無効果であると考え、より引き下がって時間を稼ぎ少しでも米軍に犠牲を与えるように指示を出した(この考えは反発も多く、水際作戦に固執した海軍の防御陣地は上陸初日に崩壊した) 2月16日、連合軍は入念な準備砲撃の元、上陸を開始。しかし島のほぼ全域を覆う地下道に潜み凌いだ日本軍は所狭しと海岸にひしめく連合軍に反撃を開始、臼砲や戦車、噴進(ロケット)砲を駆使し、また設営されたアメリカ軍陣地には連日連夜決死のハラスメント攻撃が行われた。連合軍にこれまで以上の損害を与えた。なんと日本軍守備隊より多い戦死傷者数を出したのである(戦死者は日本側の方が多く、ほぼ全滅である) 硫黄島の戦いは3月26日の最後の日本側の反攻作戦を持って終了したが残存日本兵はその後も抵抗を続け、最後の生存者が捕虜となったのは何と1949年の事だったと言う。
ちなみにVで舞台となっているのは海軍の水際防衛陣地から千鳥飛行場、摺鉢山陣地までである。この一帯は上陸初日から特に激しい攻防が繰り広げられ、摺鉢山の頂上に最初に星条旗が立ったのは23日の事だった。余談だが、硫黄島は現在は日本国領土であり、BF民の中にも「一生に一度は硫黄島に行きたいなぁ」と言う人もいるかもしれないが、現在、硫黄島に行く事ができるのは自衛隊関係や硫黄島の戦没者遺族などしか行くことが出来ないらしい。
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